ヒストリカル・ファン待望のMELOCLASSIC新譜16タイトル!

MELOCLASSICレーベル(ドイツ=タイ)

ヒストリカル・ファン待望のMELOCLASSIC新譜16タイトル!
※ヒストリカル・ファン待望のMELOCLASSIC新譜がようやく発売になります。新型コロナ・ウィルスの影響で大幅に制作が遅れておりました。ピアノ編が全11タイトル、ヴァイオリン・チェロ編が5タイトルの計16タイトルが一挙発売です!
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※ピアノ編全11タイトル。簡易収納紙ケースを使用
MC 1058(2CD)
「アレグザンダー・ユニンスキー ピアノ 欧州楽旅 1951-1962年」
ショパン:ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 Op.11
 カール・メレス(指揮)RTL交響楽団
1958年11月19日 ベルギー ルクセンブルク 放送スタジオ録音 モノラル
ラフマニノフ:パガニーニの主題によるラプソディ Op.43
 ヴィリ・シュタイナー(指揮)NDRハノーファー交響楽団
1961年4月11日 西ドイツ ハノーファー 放送スタジオ録音 モノラル
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 Op.35
1961年4月10日 西ドイツ ハノーファー 放送スタジオ録音 モノラル
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 Op.26
 アンドレ・リュー・シニア(指揮)リンブルフ交響楽団
1951年6月29日 オランダ マーストリヒト 放送スタジオ録音 モノラル
バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV826
1961年4月16日 西ドイツ ミュンヘン 放送スタジオ録音 モノラル
シューマン:謝肉祭 Op.9
ラヴェル:夜のガスパール~オンディーヌ
1962年2月15日 フランス パリ 放送スタジオ録音 モノラル

アレグザンダー・ユニンスキー(ピアノ) 150’11
※アレグザンダー・ユニンスキー(日本ではウニンスキーの表記も多いがユニンスキーが本来に近い 1910-1972)はキーウ/キエフ(当時はロシア帝国領)の生まれ。幼くして才能を発揮し、キエフ音楽院の名教師、ホロヴィッツの恩師セルゲイ・タルノフスキーに学ぶ。ロシア革命に巻き込まれ一家は1923年にパリに移住、パリ音楽院でラザール=レヴィ門下生となる。1932年、第2回ショパン国際ピアノ・コンクールで優勝。ドイツのフランス侵攻後に新大陸に移り、1943年から米国を拠点にし、第二次世界大戦後はフランスを中心とした欧州でも活躍した。ユニンスキーは、19世紀の伝統に連なるヴィルトゥオーソ・ピアニストの豊かな音楽性と、近代的な高い技術とやや硬質で繊細な響きで音楽を紡ぐ現代的ピアニストの性格が両立しており、21世紀の今聞いても実に素晴らしい。かつてPHILPSにショパンなどを録音しCDにもなったが今はすべて廃盤。このドイツ、オランダ、ベルギーでの放送録音はユニンスキーの素晴らしい芸術を伝えてくれる貴重なものだ。

MC 1059(2CD)
「フリーダ・クヴァスト=ホダップ ドイツでの放送録音 1948年」
スクリャービン:前奏曲集 Op.11 18曲
レーガー:私の日記 Op.82~アンダンティーノ・エスプレッシーヴォ
1948年3月19日 西ベルリン 放送スタジオ録音 モノラル
フォルトナー:ソナティーナ
1948年5月4日 西ドイツ フランクフルト 放送スタジオ録音 モノラル
バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より
(前奏曲とフーガ第1番 ハ長調 BWV846/前奏曲とフーガ第2番 ハ短調 BWV847/
 前奏曲とフーガ第3番 嬰ハ長調 BWV848/前奏曲とフーガ第4番 嬰ハ短調 BWV849/
 前奏曲とフーガ第5番 ニ長調 BWV850/前奏曲とフーガ第6番 ニ短調 BWV851/
 前奏曲とフーガ第7番 変ホ長調 BWV852/前奏曲とフーガ第8番 変ホ短調 BWV853)
バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻より
(前奏曲とフーガ第6番 ニ短調 BWV875/前奏曲とフーガ第17番 変イ長調 BWV.886)
1948年4月26日 西ドイツ シュトゥットガルト 放送スタジオ録音 モノラル
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 Op.106 「ハンマークラヴィーア」
1948年10月10日 西ベルリン 放送スタジオ録音 モノラル
レーガー:ピアノ協奏曲 ヘ短調 Op.114
 エヴァルト・リンデマン(指揮)RIAS交響楽団
1948年3月7日 西ベルリン ライヴ録音 モノラル

フリーダ・クヴァスト=ホダップ(ピアノ) 156’43
※20世紀前半に活躍したドイツのピアニスト、フリーダ・クヴァスト=ホダップ(1880-1949)の晩年の貴重な録音が世に出た。クヴァスト=ホダップ(クヴァストは夫の姓)は南西ドイツのバルゲン(当時はドイツ帝国内のバーデン大公国の領地)の生まれ。天才少女だったホダップは十代のうちにピアニストとして成功を収め、1910、20年代には絶大な人気を誇った。しかし1930年代には活動を大幅に縮小し、商業録音もおそらくまったく残していない(ピアノロールが少しあった)。また彼女は1941年にナチ党員になっており、これは当然彼女の戦後復帰の障害となった。なんとか1948年に活動を再開したものの、ほどなくして病に倒れ、翌年亡くなってしまった。こうした事情からクヴァスト=ホダップはこれまでほぼ文献上の存在だった。今回MELOCLASSICが世に出した短い戦後復帰活動での録音は、クヴァスト=ホダップがいかに偉大なピアニストであったを伝えてくれる。ことにバッハの平均律クラヴィーア曲集は少しも時代がかっていない知的で清明な演奏で、とても19世紀生まれのピアニストの演奏とは信じられない。

MC 1060(2CD)
「ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ ドイツでの楽旅 1958-1971年」
リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調
 ハインツ・フリッケ(指揮)シュターツカペレ・ベルリン
1964年6月3日 東ドイツ ベルリン 放送スタジオ録音 モノラル
グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 Op.16
 オタカール・トルフリク(指揮)ベルリン放送交響楽団
1962年4月7-8日 東ドイツ ベルリン 放送スタジオ録音 モノラル
メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲第1番 ト短調 Op.25
 ハンス・シュミット=イッセルシュテット(指揮)NDR交響楽団
1963年2月24-25日 西ドイツ ハンブルク 放送スタジオ録音 モノラル
ショパン:夜想曲 ホ短調 Op.72-1/ワルツ ロ短調 Op.69-2/前奏曲 変イ長調 Op.28-17
1958年9月25日 西ドイツ ハノーファー 放送スタジオ録音 モノラル
ショパン:ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 Op.11
 ロルフ・クライネルト(指揮)ベルリン放送交響楽団
1971年2月4-5日 東ドイツ ベルリン 放送スタジオ録音 モノラル
ラモー:サラバンド/ガヴォット/タンブーラン/鳥の囀り/優しい訴え/メヌエット/雌鶏
D.スカルラッティ:ソナタ ニ短調 K.9/ソナタ ニ長調 K.430/ソナタ ハ長調 K.159
マチェイェフスキ:三連作
1963年2月27日 西ドイツ ハンブルク 放送スタジオ録音 モノラル

ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(ピアノ) 153’27
※偉大なポーランド人ショパン弾き、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(1922-2001)のドイツでの放送録音集。ハリーナ・チェルニー=ステファンスカはポーランドのクラクフの生まれ。戦後初となった1949年の第4回ショパン国際コンクールで第1位(ベラ・ダヴィドヴィチと同位)、以来20世紀半ばのポーランド人ショパン弾きとして大活躍をした。一方で、たしかに彼女はショパンを中心に弾いていたのだが、他の作曲家の作品の録音が極端に少ない。この2CDには、ピアノ協奏曲第1番を含めたショパン4曲の他に、リスト、グリーグ、メンデルスゾーン、ラモー、スカルラッティ、マチェイェフスキと、今まで知らなかったチェルニー=ステファンスカの姿が多々。そしてどの演奏も彼女ならではの気高くも激しい情熱で満ちている。グリーグのピアノ協奏曲のあの有名な冒頭の見事な捌き一つをとっても彼女のファンにはたまらないだろう。加えてチェルニー=ステファンスカの弾くラモーとスカルラッティ、これもまたたいへんに見事な出来栄えだ。

MC 1061(2CD)
「ジュリアス・カッチェン ピアノ・リサイタル 1946-1965年」
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第12番 変イ長調 Op.26
1964年5月27日 西ドイツ シュトゥットガルト 放送スタジオ録音 モノラル
シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960
1960年8月6日 フランス プラド ライヴ録音 モノラル
ガーシュイン:3つの前奏曲
1951年10月28日 西ドイツ ハンブルク 放送スタジオ録音 モノラル
バッハ(ヘス編):主よ、人の望みの喜びよ ト長調
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調 K.545~アレグロ
ショパン:ポロネーズ 変イ長調 Op.53 「英雄ポロネーズ」
1946年11月20日 フランス パリ 放送スタジオ録音 モノラル
バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV826
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op.109
シューマン:交響的練習曲集 Op.13
ショパン:バラード 変イ長調 Op.47
1965年9月25日 西ドイツ ルートヴィヒブルク ライヴ録音 モノラル
メンデルスゾーン:
 ロンド・カプリチョーソ ホ長調 Op.14
 前奏曲とフーガ第1番 ホ短調 Op.35-1
1951年10月28日 西ドイツ ハンブルク 放送スタジオ録音 モノラル

ジュリアス・カッチェン(ピアノ) 146’26
※米国のピアニスト、ジュリアス・カッチェン(1926-1969)のドイツとフランス、パリでの録音集。ジュリアス・カッチェンは第二次世界大戦後間もなく欧州に渡って大活躍した米国人音楽家の代表的存在。DECCAに多くの録音を残してはいるものの、42歳で亡くなってしまったため録音に残されなかった曲も多い。このCDには、ベートーヴェンの第12番と第30番のピアノ・ソナタ2曲、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番、バッハのパルティータ第2番といった商業録音で聞けなかったカッチェンが含まれている。もちろん演奏はカッチェンならではの引き締まった集中力の高いもの。商業録音のあるものでも例えばシューマンの交響的練習曲集のようにより強い気迫が感じられるものもあり、この早世したピアニストの偉大な芸術に心を震わせることができる。

MC 1062
「ユリアン・フォン・カーロイ ドイツでのピアノ・リサイタル 1954-1956年」
リスト:メフィスト・ワルツ第1番
サン=サーンス:ワルツ形式による練習曲
1954年2月2日 西ドイツ シュトゥットガルト 放送スタジオ録音 モノラル
ショパン:幻想曲 ヘ短調 Op.49
リスト:超絶技巧練習曲第5番 変ロ長調 「鬼火」
リスト:3つの演奏会用練習曲第2番 ヘ短調 「軽やかさ」
1954年4月27日 西ドイツ フランクフルト 放送スタジオ録音 モノラル
ドビュッシー:葉ずえを渡る鐘の音/喜びの島
1955年4月26日 西ドイツ フランクフルト 放送スタジオ録音 モノラル
リスト:ハンガリー狂詩曲第13番 イ短調
フランク:前奏曲、コラールとフーガ
ドホナーニ:狂詩曲 ハ長調 Op.11-3
1956年4月13日 西ドイツ ブレーメン 放送スタジオ録音 モノラル

ユリアン・フォン・カーロイ(ピアノ) 70 12
※ユリアン・フォン・カーロイ(ハンガリー名ギュラ・カーロイ 1914-1993)は、ハンガリー生まれでドイツで活躍したピアニスト。ハンガリー王国北部のロションツ(現在のスロヴァキアのルチェネツ)の生まれ。若くして国内で大きな注目を浴びた後、ミュンヘンで名教師ヨーゼフ・ペンバウアーに学ぶ。既に演奏活動を活発にしてからパリのエコール・ノルマルでアルフレード・コルトーにも学んでいる。1932年、第2回ショパン国際コンクールで第9位入賞。この時第5位だった同郷のラヨシュ(ルイス)・ケントナーの勧めでブダペスト音楽院でエルンスト・フォン・ドホナーニに直々に学ぶ。こうして1933年にパリでリサイタル・デビューして以降は引っ張りだこの人気ピアニストになった。1950年代からはドイツと米国で活動。1972年にヴュルツブルク音楽大学の教師になり、1980年代以降はこの職に専念するようになる。
師匠ヨーゼフ・ペンバウアーが(直系ではないが)リスト弾きだったことから、カーロイもリストを得意としていた。つまり、非常に高度な技巧で曖昧さなく明解で生命力に溢れた演奏が持ち味で、それはドビュッシーでも変わりない。カーロイはDGに録音も残しているもののCDになったものは少なく、それらも今は廃盤。ここで聞ける録音は貴重である。

MC 1063(2CD)
「伝説的なポーランドのピアニストたち ドイツでの演奏会 1949-1959年」
ショパン:ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 Op.11
 バルバラ・ヘッセ=ブコフスカ(ピアノ)
 ヘルマン・アーベントロート(指揮)ベルリン放送交響楽団
1955年2月20日 東ドイツ ベルリン 放送スタジオ録音 モノラル
ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 Op.21
 ヘンリク・シュトンプカ(ピアノ)
 ヘルマン・アーベントロート(指揮)ライプツィヒ放送交響楽団
1952年5月5日 東ドイツ ライプツィヒ 放送スタジオ録音 モノラル
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op.23
 マリアン・フィラー(ピアノ)
 ヴィンフリート・ツィリヒ(指揮)フランクフルト放送交響楽団
1949年2月16日 西ドイツ フランクフルト 放送スタジオ録音 モノラル
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 Op.26
 レギナ・スメンジャンカ(ピアノ)
 ヘルベルト・ケーゲル(指揮)ライプツィヒ放送交響楽団
1959年4月20日 東ドイツ ライプツィヒ 放送スタジオ録音 モノラル

(124’49)
※題名の通りポーランド出身の4人のピアニストの演奏が収録されている。
ヘンリク・シュトンプカ(1901-1964)はワルシャワ音楽院で学んだ後、1927年の第1回ショパン国際ピアノ・コンクールに参加。直後にパリに移り、ここで偉大なピアニスト、イグナツィ・ヤン・パデレフスキの指導を受ける。1930年代に大活躍するも、第二次世界大戦中はワルシャワで身を潜めざるを得なかった。戦後国際的活動を再開、またクラクフ音楽院のピアノ教授を亡くなるまで務めた。録音は少なくCDでは無いに等しかったところに、今回ショパンのピアノ協奏曲第2番の録音が発掘、しかも巨匠ヘルマン・アーベントロートの指揮。今回のMELOCLASSICのリリースでも特にお宝度の高いもの。
バルバラ・ヘッセ=ブコフスカ(1930-2013)は中央ポーランドのウッチの生まれ。戦後初となった1949年の第4回ショパン国際ピアノ・コンクールで第2位を受賞(第1位はハリーナ・チェルニー=ステファンスカとベラ・ダヴィドヴィチ)、これで一気に国際的に名を知られるようになった。1953年、パリでのロン=ティボー国際コンクールのピアノ部門では第5位だったが、審査員のアルトゥール・ルービンシュタインから絶賛されこれも彼女の名を知らしめた。1950、60年代には世界的に活躍したが、1970年代以降は教職に重きを置き、ワルシャワ高等音楽院の名教師として知られた。
マリアン・フィラー(1917-2012)はワルシャワ生まれのピアニスト(男性である)。第二次世界大戦では強制収容所から命からがら生還した。終戦後ドイツで活動したのち、1950年に米国デビュー、そして移住。1958年にテンプル大学の音楽部門のピアノ主任に就任、長く指導者として活躍した。94歳と長命したが商業録音とはあまり縁がなく、MELOCLASSICが2015年にショパン集のCDを出すまではほとんど忘れ去られていた。ここではドイツ時代の見事なチャイコフスキーの協奏曲が聞ける。
レギナ・スメンジャンカ(1924-2011)は年9月15日)はトルンの生まれ。天才少女として名を馳せ、1936年からトルン音楽院で前述のヘンリク・シュトンプカから教えを受ける。十代後半は第二次世界大戦に巻き込まれ、戦後になってようやくクラクフ音楽院で十分に学ぶことができた。戦後初となった1949年の第4回ショパン国際ピアノ・コンクールで第11位入賞。彼女が国際的に有名になるのは1950年代末以降のことで、1961年には北米楽旅で成功している。教育者としても高名な彼女は、日本では「ショパンをどのように弾きますか?」という著作でも知られているだろう。録音は少なくなかったものの、現在CDはほとんど入手難。若き日のヘルベルト・ケーゲルが伴奏指揮を務めたこのプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の録音は嬉しいもの。

MC 1064(2CD)
「レフ・オボーリン ドイツとフランスでの演奏会 1951-1966年」
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第20番 変ホ長調 Op.81a
ムソルグスキー:展覧会の絵
ドビュッシー:前奏曲集 から
(月の光がふりそそぐテラス/西風の見たもの/とだえたセレナード/沈める寺/ヴィーニョの門/花火)
ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ Op.87から
(第4番 ホ短調/第7番 イ長調/第15番 変ニ長調)
ショパン:夜想曲 変ニ長調 Op.27-2
ボロディン:スケルツォ 変イ長調
ショパン:マズルカ ロ短調 Op.33-4
ハチャトゥリアン:トッカータ 変ホ短調
1966年12月21日 東ドイツ ベルリン ライヴ録音 モノラル
バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV826
ショパン:バラード Op.60
ラフマニノフ:前奏曲集 Op.32 から(ト長調 Op.32-5/嬰ト短調 Op.32-12)
ショスタコーヴィチ:24の前奏曲 Op.34 から
(第1番 ハ長調/第10番 嬰ハ短調/第22番 ト短調/第24番 ニ短調)
1962年6月4日 フランス パリ 放送スタジオ録音 モノラル
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op.23
 フランツ・コンヴィチュニー(指揮)ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
1951年11月27日 東ドイツ ライプツィヒ ライヴ録音 モノラル

レフ・オボーリン(ピアノ)(157’37)
※20世紀のソ連の偉大なピアニスト、レフ・オボーリン(1907-1974)のライプツィヒ、パリ、ベルリンでの演奏を収録。今日では伴奏ピアニスト、教育者としての功績の方が広く知られるオボーリンだが、彼は1927年第1回ショパン国際ピアノ・コンクールの優勝ピアニスト、ソリストとしての実力は極めて高い。この2CDではなんといっても巨匠フランツ・コンヴィチュニーの伴奏で演奏したチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が強烈。冒頭から最後まで一貫してヴォルテージが高く、多少のミスなどものともせず熱い音楽で突き進む。東ベルリンでのリサイタルのライヴ録音は残念ながら音質が今一つだが、ベートーヴェン、ムソルグスキー(しかも「展覧会の絵」)、ドビュッシー、ショスタコーヴィチなどと得意曲が並び壮観。さらにバッハのパルティータ第2番も充実。レフ・オボーリンという一時代を築いたピアニストを知るにはうってつけの1枚。

MC 1065(2CD)
「ステファン・アスケナーゼ 東ドイツでの演奏会 1967-1968年」
モーツァルト:
 ピアノ・ソナタ第9番ニ長調K.311/ロンド イ短調K.511/メヌエット ニ長調K.355/
 小さなジーグ ト長調K.574/ピアノ・ソナタ第13番 変ロ長調K.333
ショパン:
 夜想曲 ロ長調Op.9-3/スケルツォ 変ロ短調Op.31/マズルカ 変ロ短調Op.24-4/
 マズルカ ヘ短調Op.63-2/マズルカ 嬰ハ短調Op.63-3/ワルツ イ短調Op.34-2/
 ワルツ ヘ長調Op.34-3/タランテラ 変イ長調Op.43
メンデルスゾーン:スケルツォ Op.16-2
モーツァルト:6つのレントラー 変ロ長調K.606~第1番と第5番(ピアノ小品に編曲)
1967年2月2日 東ドイツ ベルリン 放送スタジオ録音 モノラル
モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番 ト長調 K.453
メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲第1番 ト短調 Op.25
 ヘルベルト・ケーゲル(指揮)ライプツィヒ放送交響楽団
1968年2月6日 東ドイツ ライプツィヒ 放送スタジオ録音 ステレオ

ステファン・アスケナーゼ(ピアノ) (153’11)
※ステファン・アスケナーゼ(1896-1985)は当時オーストリア=ハンガリー帝国領だったレンベルク(当時はポーランドの文化圏に属した。現在のウクライナ西部のリヴィウ)生まれのピアニスト。ウィーン国立音楽大学でリストの愛弟子、エミール・フォン・ザウアーに学ぶ。ユダヤ系だったため第二次世界大戦では身を潜めざるをえなかったが、1950年代にはショパン弾きとして一世を風靡した。meloclassicからは既に2種CDが発売され(MC 1004,MC 1051[2CD] )、すっかり忘れ去られていたこの名ピアニストの素晴らしさを再発見させてくれた。
今回の2CDの目玉は1968年のライプツィヒでの演奏会のライヴ録音、巨匠ヘルベルト・ケーゲルの指揮で協奏曲2曲、しかも良好なステレオ録音(客席からの雑音は多いが)。モーツァルトのK.453も、馴染みの薄いメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番も、どちらも品格の高い絶品。これを聞けばアスケナーゼが20世紀の偉大なピアニストの一人だったと誰もが認めることだろう。

MC 1066
「エディト・ファルナディ ピアノ・リサイタル 1966-1968年」
リスト:メフィスト・ワルツ第1番
1968年5月5日 西ドイツ フランクフルト 放送スタジオ録音 モノラル
リスト:グノー「ファウスト」からのワルツ
1968年5月7日 西ドイツ シュトゥットガルト 放送スタジオ録音 モノラル
ショパン:
ポロネーズ 嬰ト短調/幻想即興曲 嬰ハ短調 Op.66/夜想曲 嬰ヘ長調 Op.15-2/
ワルツ 変イ長調 Op.69-1/ワルツ 嬰ハ短調 Op.64-2/ワルツ 変イ長調 Op.34-1/
スケルツォ 変ロ短調 Op.31
1968年3月6日 オランダ ヒルフェルスム 放送スタジオ録音 モノラル
ブラームス:ピアノ・ソナタ第2番 嬰ヘ短調 Op.2
1966年12月21日 オランダ ヒルフェルスム 放送スタジオ録音 モノラル

エディト・ファルナディ(ピアノ) (78 03)
※2016年にmeloclassicが発売したリスト集(MC 1039)が大きな話題になったエディト・ファルナディ(1921-1973)が再び。エディト・ファルナディはハンガリーのブダペストの生まれ。僅か7歳でリスト音楽院に入学してベラ・バルトークに師事。1945年にウィーンに移住してから国際的な名声を獲得。1950年代の米国のWestminster社への一連の録音は極めて高い評価を得た。しかしどうしたわけかその後は録音から遠ざかってしまった。 冒頭のリストのメフィスト・ワルツを聞いただけでもファルナディの高い技術を惜しみなく情熱に注ぐ音楽に痺れてしまうだろう。リストがグノーの「ファウスト」のワルツを編曲した1曲も、単なるオペラの名曲の編曲を超えた情熱の渦巻く世界に飲み込まれてしまう。さらに嬉しいことにショパンが7曲。ファルナディの弾くショパンは初めてではないだろうか。普通のショパンとはかなり異なった熱い激しいショパン。ショパン・マニアならこの7曲のためにこの1枚を買っても損はないだろう。ブラームスもエネルギーが途轍もない。

MC 1067
「ヤン・スメテルリン ピアノ・リサイタル 1951-1958年」
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調
1958年3月5日 スイス ローザンヌ 放送スタジオ録音 モノラル
シューマン:謝肉祭 Op.9
1951年10月24日 オランダ ヒルフェルスム 放送スタジオ録音 モノラル
ドビュッシー:金色の魚/喜びの島
グラナドス:窓辺の語らい
1951年4月20日 オランダ ヒルフェルスム 放送スタジオ録音 モノラル

ヤン・スメテルリン(ピアノ) (76’06)
※ヤン・スメテルリン(1892-1967)の1950年代の放送録音集。 ヤン・スメテルリンはオーストリア=ハンガリー帝国のビーリッツ(現ポーランドのビェルスコ)の生まれ。本名はハンス・シュメッターリング。一家はテルノピル(現在のウクライナのテルノーピリ)から移住してきたユダヤ人。生地でピアノを学んだ後、ウィーンに出てかのレオポルト・ゴドフスキに学ぶ。第一次世界戦が終わってから1920年代に急速に名声を高めていった。1925年に結婚する際に名前をヤン・スメテルリンと改める。1934年に英国の市民権を得る。第二次世界大戦の勃発後は米国での活動が多くなる一方、第二次世界大戦後はオーストラリアやニュージーランドまで楽旅に出ている。ロンドンにて亡くなる。
スメテルリンは経歴からも演奏そのものからも、ゴドフスキの流儀の継承者であり、楽譜から詩情を羽ばたかせる名手だった。スメテルリンの録音は数年前にショパンがまとまってCDで発売されたが、スメテルリンの真価はむしろこのCDでの自在で豪快なリストのピアノ・ソナタに良く表れているだろう。

MC 1068
「ジーナ・バッカウアー サル・プレイエルでのリサイタル 1963年」
ハイドン:ピアノ・ソナタ第34番 ホ短調 Hob.XVI-34(ランドン版第53番)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調 Op.53
ラヴェル:夜のガスパール
バルトーク:組曲 Op.14 Sz62
ブラームス:パガニーニの主題による変奏曲 Op.35 第1巻
ラモー:メヌエット
ムソルグスキー:「展覧会の絵」~キエフの大門
モンポー:庭園の若い娘たち

ジーナ・バッカウアー(ピアノ) 
1963年11月6日 フランス パリ ライヴ録音 モノラル(75 29)
※ジーナ・バッカウアー(1913-1976)が1963年11月6日、パリのサル・プレイエルで行ったリサイタルのライヴ録音。ジーナ・バッカウアーはアテネの生まれのユダヤ系ギリシャ人。ジーナは本名のルイーザの愛称。彼女の祖父は、バイエルン王家からギリシャ王国初代国王としてアテネに移ったオソン1世(=オットー)の随行者の一人で、さらに遡るとオーストリアの出だという。アテネ音楽院でメキメキと実力を付けた彼女を、かのアルフレード・コルトーが認めてパリのエコール・ノルマルに招いた。バッカウアーは1929年にパリでデビュー、大成功を収めた。なお彼女がラフマニノフにも学んだという話があるが、これは定かではないという。1930年代以降、バッカウアーは人気ピアニストとして国際的に活躍。Meloclassicの他の多くのCDのピアニストとは異なり、バッカウアーはかなり多くの録音を残しており、とりわけ1950年代の米国のMercury録音は良く知られている。このCDではちょうど50歳のバッカウアーの極めて充実した演奏が楽しめる。バッカウアーのピアノには独特の華があり、ピアノの貴婦人とか女王といった趣がある。ムソルグスキーの「展覧会の絵」のキエフの大門を豪快に弾いた(観客の熱狂的な喝采も収録されている)と思えば、ラヴェルの「夜のガスパール」での緻密な音楽、モンポーの「庭園の若い娘たち」での繊細で柔らかい愉悦まで、芸の幅の広いピアニストだった。

※ヴァイオリン・チェロ編5タイトル。簡易収納紙ケースを使用
MC 2048(2CD)
「クリスティアン・フェラス ドイツでのヴァイオリン・リサイタル1953-1965年」
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 Op.24
シューマン:ヴィオリン・ソナタ第2番 ニ短調 Op.121
エネスコ:ヴァイオリン・ソナタ第3番 イ短調 Op.25
1959年9月25日 西ドイツ エッティンゲン ライヴ録音 モノラル
ラヴェル:ツィガーヌ
1953年11月12日 西ドイツ シュトゥットガルト 放送スタジオ録音 モノラル
シューベルト:ピアノ・ソナタ第3番 ト短調 D408 Op.137
1954年5月5日 西ドイツ ケルン 放送スタジオ録音 モノラル
バルトーク:ヴァイオリン・ソナタ第2番 Sz76
1959年10月2日 西ドイツ ハンブルク 放送スタジオ録音 モノラル
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第4番 イ短調 Op.23
1960年4月31日 西ドイツ フランクフルト 放送スタジオ録音 モノラル
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第10番 ト短調 Op.96
1965年3月19日 西ドイツ ケルン 放送スタジオ録音 モノラル

クリスティアン・フェラス(ヴァイオリン)
ピエール・バルビゼ(ピアノ)
(153’12)
※MELOCLASSICご贔屓のクリスティアン・フェラス(1933-1982)のドイツでのヴァイオリン・ソナタを中心に収録。ピアノはもちろんピエール・バルビゼ(1922-1990)ベートーヴェンの3曲、シューマン、エネスコの3曲はいずれも商業録音も残したが、ここではよりのびのびしているように思われる。シューベルトとバルトークは商業録音はなかったのではないか。いずれにおいてもフェラスの自由で魅惑的なヴァイオリンを、バルビゼの懐深い伴奏がしっかり受け止めている名演だ。

MC 2049(2CD)
「クリスティアン・フェラス ヨーロッパでの楽旅 1961-1974年」
ラロ:スペイン交響曲 ニ短調 Op.21(第3楽章省略)
 ルイ・ド・フロマン(指揮)RTL管弦楽団(ルクセンブルク放送交響楽団)
1961年3月22日 ベルギー ルクセンブルク 放送スタジオ録音 モノラル
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64
 ボゴ・レスコヴィチ(指揮)WDR交響楽団
1964年4月29日 西ドイツ ケルン 放送スタジオ録音 モノラル
ショーソン:詩曲
 ジャン・クロード・アルトマン(指揮)ORTFリリック管弦楽団
1969年5月9日 フランス パリ 放送スタジオ録音 ステレオ
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ長調 K.218
 ヘルムート・ミュラー=ブリュール(指揮)ケルン室内管弦楽団
バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番~ガヴォット・アン・ロンドー
1968年8月3日 フランス マントン ライヴ録音 モノラル
ロベール・ド・フラニ:ダヌビアナ
 ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス(指揮)ORTF国立管弦楽団
1964年9月9日 フランス ブザンソン ライヴ録音 モノラル
ラヴェル:ツィガーヌ
 ジャン・クロード・アルトマン(指揮)ORTFリリック管弦楽団
1969年5月16日 フランス パリ 放送スタジオ録音 ステレオ
シェーンベルク:ヴァイオリン協奏曲 Op.36
 ミルティアデス・カリディス(指揮)ORF交響楽団
1974年 オーストリア グラーツ ライヴ録音 モノラル

クリスティアン・フェラス(ヴァイオリン) 154’41
※クリスティアン・フェラスの協奏曲を中心とした録音を集めている。1960年代からフェラスが第一線を退く直前の1974年まで。目玉はシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲だろう、フェラスは商業録音を残していないし、ライヴ録音でも初めてではないだろうか。ロベール・ド・フラニはリヨンの作家、政治家であるロベール・プロトン・ド・ラ・シャペル(1894―1982)の芸名。ダヌビアナは「ドナウ風の」といった意味あいの言葉で、曲中何度かワルツが用いられている。世界初演でのライヴ録音。ルクセンブルクでのラロのスペイン交響曲はフランスの名匠でルクセンブルク放送交響楽団を長く率いたルイ・ド・フロマンの指揮と相まって濃厚な味わいを広げている。一方ケルンでのメンデルスゾーンは端正な味わいの演奏。ショーソンの詩曲とラヴェルのツィガーヌはステレオ。

MC 2050(2CD)
「伝説的なソヴィエト連邦のヴァイオリニストたち ヨーロッパでの楽旅 1961-1974年」
ヴィエニャフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番 嬰ヘ短調 Op.14
 ボリス・ゴリトシテイン(ヴァイオリン)
 ズデネク・マーツァル(指揮)NDRハノーファー放送管弦楽団
1975年6月6日 西ドイツ ハノーファー ライヴ録音 ステレオ
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番 ト短調 Op.63
 ボリス・ゴリトシテイン(ヴァイオリン)
 ユーリ・アーロノヴィチ(指揮)NDR交響楽団
1976年10月8日 西ドイツ ハノーファー ライヴ録音 ステレオ
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108
ハチャトゥリアン:詩曲
ハチャトゥリアン(ハイフェッツ編):アイシャの踊り,剣の舞(「ガイーヌ」から)
 ボリス・ゴリトシテイン(ヴァイオリン)、シシュティ・ヨルト(ピアノ)
1977年6月3日 西ドイツ ハノーファー 放送スタジオ録音 ステレオ
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ ホ長調 Op.1-15 HWV373
 イーゴリ・ベズロドニー(ヴァイオリン)
フセヴォロド・ペトルシャンスキー(ピアノ)

1968年6月8日 東ドイツ ライプツィヒ ライヴ録音 モノラル
カバレフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ハ長調 Op.48
 イーゴリ・ベズロドニー(ヴァイオリン)
 キリル・コンドラシン(指揮)ベルリン放送交響楽団
1950年7月24日 東ドイツ ベルリン ライヴ録音 モノラル
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第2番 ロ短調 Op.7
 ユリアン・シトコヴェツキー(ヴァイオリン)
 フランツ・ユング(指揮)ライプツィヒ放送交響楽団
1955年12月17日 東ドイツ ライプツィヒ 放送スタジオ録音 モノラル
(153’38)

※ソヴィエト連邦出身のヴァイオリニストの録音を集めている。
CD1枚以上を占めるボリス・ゴリトシテイン(ドイツ語読みではゴルトシュタイン、しかし日本では英独語折衷のゴールドシュタインの表記が多い 1922-1987)はウクライナのオデッサの生まれ。父親はライプツィヒ生まれのドイツ人。5歳でヴァイオリンを習うとすぐに才能を発揮し、一家はモスクワに移住してボリスに本格的な音楽教育を受けさせる。1933年の全連邦音楽演奏コンクールで特別賞を受賞。そして1935年、伝説的な第1回ヘンリク・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールで、第1位ジネット・ヌヴー、第2位ダヴィド・オイストラフ、第3位ヘンリ・テミアンカに次いで第4にに入賞。さらに1937年のウジェーヌ・イザイ・コンクール(後のエリザベート王妃国際音楽コンクール)のヴァイオリン部門でも第4位を受賞。いずれもまだ十代のこと。このまま国際的人気ヴァイオリニストになって当然だったが、ソ連政府は彼の国外出国をほとんど認めず、また録音も僅かで、ソ連に封じ込められてしまい、西側では幻のヴァイオリニストになってしまった。1974年にドイツに亡命、残りの人生は教職が主だった。ここに収録されている録音はいずれもドイツ亡命後のもの。残念ながら既に技術的な衰えが目立つが、ブラームスのニ短調のソナタでの味わい深い演奏は偉大なヴァイオリニストならではのものだ。 イーゴリ・ベズロドニー(1930-1997)は、ソ連時代のグルジア(ジョージア)の首都トビリシの生まれ。父はトビリシのオーケストラのリーダーで音楽院の教授、母もヴァイオリン教師。1937年に一家はモスクワに移り、レオニード・コーガンら多くの名ヴァイオリニストを育て上げた名教師アブラム・ヤンポルスキー(レオポルト・アウアーの高弟)に学ぶ。1949年、プラハでのヤン・クベリーク国際コンクールで第1位。1950年、第1回ヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクールのヴァイオリン部門で第1位。同じ年に初めてフィンランドを訪れ、以降フィンランドでの活動が多くなる(ヘルシンキで亡くなっている)。ヴァイオリニストとして活動する一方で、後年は指揮活動も行う。ソ連を代表するヴァイオリニストとして録音も多く残していたものの、CDになったものは僅かで、しかもCDはLPから採録されたものだったりと、ここ数十年は冷遇されてきた。このCDに聞ける1950年のカバレフスキーのヴァイオリン協奏曲は、前述のバッハ国際コンクールに参加した時期の東ベルリンでの演奏会のライヴ録音。15分強の短い作品だが、ベズロドニーの凛とした美音と卓越した技術、果敢な踏み込みを大いに楽しめる。伴奏指揮がキリル・コンドラシンというのも嬉しい。
ユリアン・シトコヴェツキー(1925-1958)は伝説的なソ連のヴァイオリニストだが、今日ではドミトリー・シトコヴェツキーの父として知られているだろう。ウクライナのキーウ/キエフの生まれ。彼もアブラム・ヤンポルスキーに学んでいる。1952年、第2回ヘンリク・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールで第2位。1955年のエリザベート王妃国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で第2位、しかしこれはソ連からの参加者を冷遇した結果だったとも伝えられている。瑞々しくも切れ味の良い音色、高度な技術、そして新鮮な現代的感性と、20世紀後半を代表するヴァイオリニストになるはずだったが、病に倒れ僅か32歳で亡くなった。それでもシトコヴェツキーの素晴らしい演奏は残された録音を通じて人々を魅了し、1970年代には日本で愛好家によるLPが発売され、21世紀に入ると秘蔵音源が何枚もCDになったりしていた。ここでのライプツィヒでのパガニーニは全盛期のシトコヴェツキーの姿を伝える素晴らしい記録である。

MC 2051(2CD)
「ミハイル・ヴァイマン 東ドイツでの演奏会 1951-1963年」
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35
 ロルフ・クライネルト(指揮)ベルリン放送交響楽団
1957年5月20日 東ドイツ ベルリン 放送スタジオ録音 モノラル
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K.219
 ヘルマン・アーベントロート(指揮)ベルリン放送交響楽団
1955年5月15日 東ドイツ ベルリン ライヴ録音 モノラル
バッハ:ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 BWV1042
 カール・エリアスベルク(指揮)ライプツィヒ放送交響楽団
1950年7月29日 東ドイツ ライプツィヒ ライヴ録音 モノラル
マチャヴァリアニ:ヴァイオリン協奏曲
 フランツ・コンヴィチュニー(指揮)ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
1951年11月27日 東ドイツ ライプツィヒ ライヴ録音 モノラル
プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ヘ短調 Op.80
バルトーク(Szekely編):ルーマニア民俗舞曲
ヴィヴァルディ:前奏曲 ハ短調
 マリア・カランダショヴァ(ピアノ)
バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト短調 BWV1001
1963年10月30日 東ドイツ ベルリン ライヴ録音 モノラル

ミハイル・ヴァイマン(ヴァイオリン) 153’38
※ミハイル・ヴァイマン(1926-1977)はソ連時代のウクライナ、ムィコラーイウ州ノヴィイ・ブーフの生まれ。父親は町の吹奏楽団の指揮者だった。1933年にオデッサに移住し、ミハイル少年はヴァイオリンを学び始める。順調に腕前を上げるが、第二次世界大戦の勃発で音楽院ごとウズベキスタンのタシュケントに疎開。戦後、モスクワで名教師アブラム・ヤンポルスキーの前で試演して認められ、音楽院ごとレニングラードに移る。1949年、プラハでのヤン・クベリーク国際コンクールで第4位。1950年、第1回ヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクールのヴァイオリン部門で第2位。1951年、エリザベート王妃国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で第2位(第1位はレオニード・コーガン)。1950、60年代にヴァイマンは東欧圏で精力的に演奏活動を行い、並行して指導者としても多くの優秀な弟子を輩出した。1977年、心臓発作で51歳で亡くなった。長命すれば西側での活動も広がったろう。2005年にMelodiyaからまとまった量の録音がCDになっていた。
この2CDには1950年代を中心とした東ドイツでの放送録音を収録。チャイコフスキーの協奏曲はヴァイマンが絶好調で、軽快で歯切れ良い第3楽章もロシア的哀愁が漂う第2楽章も絶品だ。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番は、ヴァイマンの洗練された美音と粋な歌いまわしを、大指揮者ヘルマン・アーベントロートが大きく支えた素晴らしい名演。グルジア/ジョージアの作曲家、アレクシ・マチャヴァリアニ(1913―1995)のヴァイオリン協奏曲は、ヴァイマンはモスクワで商業録音もしており得意曲だったのかもしれない。伴奏がフランツ・コンヴィチュニー指揮のゲヴァントハウス管弦楽団というのも凄い。

MC 3016
「ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ 東ベルリンでのリサイタル 1964年」
ブラームス:チェロ・ソナタ第2番 ヘ長調 Op.99
ブリテン:チェロ・ソナタ ハ長調 Op.65
ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタ ニ短調 Op.40
ポッパー:妖精の踊り ニ長調 Op.9
バッハ(シロティ編):アダージョ トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV564から
ドビュッシー(ロンキーニ編):ミンストレル

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
アレクサンドル・デデュヒン(ピアノ)
1964年3月4日 東ドイツ ベルリン ライヴ録音 モノラル 79 11
※今回のMELOCLASSICの発売の目玉。1964年3月4日、東ベルリンのマルクス=エンゲルス・アウディトリウムでのムスティスラフ・ロストロポーヴィチのリサイタルのライヴ録音。36歳のロストロポーヴィチは極めて充実しており、音そのものが気迫に漲っている。ブラームス、ブリテン、ショスタコーヴィチの各ソナタはもちろん絶品。十八番のポッパーの「妖精の踊り」はロストロポーヴィチにしてもとりわけ熱気に満ちた演奏。録音もモノラルながら明快良好で、ロストロポーヴィチ・ファン、チェロ・ファン、ぜひ聞くべき1枚だ。